結婚して、子どもを産んで、マイホーム買って、安定した職業について、休日には家族でお出かけして、たまにはSNSでリア充感もアピールして──
…って、このテンプレみたいな“幸せコース”、どこかで一度は見たことあるよね。
テレビでもCMでも雑誌でもSNSでも、
「幸せってこういうものでしょ?」って空気がそこらじゅうに漂ってる。
でもさ、それって本当に“自分が欲しい幸せ”?
なんとなく、
- “そういうもん”だと思ってた
- “みんなそうしてるし”って乗っかってた
- “そうすれば安心”って刷り込まれてた
ってだけじゃない?
気づいたら、自分で選んだわけでもない“幸せの正解ルート”に無意識で乗っかってて、そこからズレると「自分はダメかも…」って勝手に凹んでたりする。
しかも、そういう人ほど「思い通りにならない現実」にめちゃくちゃ打たれ弱くなる。
今回のは、そんな「他人が作った幸せのテンプレ」に気づかず飲まれてる状態を見直すお話。
外側に合わせて苦しくなってないか?
本当はもっと、自分の幸せをちゃんと選んでいいんだよ!っていうお話です!
社会通念と同調圧力に屈しまくってた主がお送りします〜😃
- 押しつけられる“幸せのテンプレ”
- ポジティブ幻想と“感情の白黒ジャッジ”
- “正解”に縛られると現実に耐えられなくなる
- 誰かが作った“理想”から降りるという選択
- 幸せ=「何かを得ること」じゃない
- まとめ:その“幸せ”、誰が決めた?
押しつけられる“幸せのテンプレ”
「結婚しないの?」「子どもはまだ?」「ちゃんとした仕事ついてるの?」「家は買わないの?」──
…いやいや、うるせぇわ!って感じなんだけど、
直接言われなかったとしても、空気というか“無言の同調圧力”、けっこう根深いよね。
メディア・CM・親・学校・職場、もろもろ…いろんなところで刷り込まれてきた「理想ルート」ってやつ。
- 「男は稼いでなんぼ」「女は愛されてなんぼ」
- 「正社員じゃないと不安定」「結婚して一人前」
- 「30歳までに結婚」「子どもは2人が理想」
- 「友達は多い方がいい」「協調性がある=良いこと」
- 「明るくポジティブでいなきゃ」「人に優しく」
- 「我慢は美徳」「頑張れば報われる」
…うん、全部「誰が決めたん?」って話なんだけど、
このテンプレが“普通”とか“幸せ”ってことにされがち。
本当の「幸せ」って、自分がどう感じてるかの話じゃない?
なのに今って、「見た目の幸せ」「評価される幸せ」ばっかりが正解っぽく見える。 しかもそれ以外を選ぼうとすると、「ズレてる」「間違ってる」って扱い。
で、そう思われたくないから無理して合わせて、
現実とのギャップで苦しくなって、耐性も削られていく。
でもさ、これって本当に“自分の幸せ”なのかな?
って立ち止まることが、実はめちゃくちゃ大事。
無意識に「これが正解」って思わされてると、
現実が少しズレただけで、“自分は失敗した”って感じやすくなる。 その「ズレ」を許せないと、どんどんしんどくなるよね。
ポジティブ幻想と“感情の白黒ジャッジ”
SNSを開けば、キラキラ笑顔・旅行・結婚式・オシャレごはん──
「ポジティブ=正義」みたいな空気、めちゃくちゃあるよね。
逆に、ネガティブな感情は“負け”っぽく扱われがち。 「病んでる」「面倒くさい」「空気読めない」みたいにね。
ネガティブが変な感じになるのは、共感してよ!同情してよ!って引きずり下ろそうとする、"承認欲求"が発動してるせいだったりするけどね。承認欲求が絡んだら害です。
こんな思い込み、すり込まれてない?
- 明るく前向き=いい人
- 落ち込む=ダメな人
- 元気じゃない=甘え・弱さ
- 不安や悩みは見せちゃダメ
でもさ、人間なんて24時間ポジティブでいられるわけないじゃん?落ち込んだり不安になったりするのって、むしろ自然なこと。
それなのに、ネガティブな感情を“間違い”だとジャッジしてると、うまくいかない時に「私はダメなんだ…」って一気に自己否定しがち。
感情にまで“白黒”つけてたら、そりゃ現実とズレて苦しくなる。
ポジティブ=勝ち、ネガティブ=負けじゃない
何度も言ってるけど、
“自分から湧き出る感情”自体には、良いも悪いもない。
「ポジティブに生きよう!」を無理やり掲げるのは、
ぶっちゃけインチキ自己肯定まっしぐらだから気をつけて!
“正解”に縛られると現実に耐えられなくなる
わりとこんな思い込みも無意識で持ってたりするよね。なんかよくわかんないけど"正解"みたいなオーラ漂ってるやつ。
- 「◯歳までにこうなってなきゃ」
- 「ちゃんとした職業に就いてなきゃ」
- 「人並みに結婚して家庭もって当然」
こんな感じで謎に焦ってたりとかする。
「こうであるべき」「こう生きるのが幸せ」っていう“正解ルート”があると、
それに乗れてない=自分はダメ、って感じやすくなる。
たとえば、
- 30までに結婚できなかった
- 子どもがいない
- 正社員じゃない
- 年収が平均より低い
こういう状況になると、「私は失敗した」って勝手に自分を責め始める。
白黒思考が発動して、「うまくいってない=終わり」って脳内で処理される。
でもさ、人生ってグレーゾーンばっかり。 途中経過だったり、模索中だったり、あいまいだったり。
それを許せないとどんどん苦しくなる。
「今うまくいってない=未来もダメ」って決めつけちゃうから。
結果、現実がちょっとでも思い通りにいかないとすぐ潰れそうになる…みたいな状態になっちゃう。
で、そこでさらに自分責めがはじまる。
「もっとちゃんとしなきゃ」「私がダメだったんだ」って、自責ループ。
➜ちなみに、「比較」が自己価値を削る話は、こっちで詳しく書いてます!
でも自分責めで苦しいのって、
“誰かが作った理想”に、自分を無理やり合わせようとしてただけじゃない?
そしてこういう価値観って、無意識に染み込んでるからやっかいなんだよね。
※どっかの誰かが悪意を持って操作してる場合もある。 これについてはまたそのうち掘ります。
- “みんなそうしてる”って空気に流されたり
- 疑問すら持たずに「そういうもんだ」と信じてたり
思考が停止してる状態の時って、なんの疑問にも思わない。
とにかく一度、全部疑ってみようか…って感じ。
わりと、あれ?なんでだっけ?っての多い。
“今うまくいってない”と感じたときこそ、
「幸せって“状態”じゃなく“感情”だったよな」って立ち返る視点が大事かもしれない。
誰かが作った“理想”から降りるという選択
「普通の幸せ」って言われるやつ、ほんとに自分が欲しいやつ?
そもそも“正解ルート”なんて、ただの幻想。
➜これについては、理想像に押しつぶされる話でも話してます!
メディアや親や周りが刷り込んでくる理想像って、たいてい「多数派」や「安心っぽい選択」が正しいみたいに見せてくる。
でもそれって、自分にとって心地いいかどうかとは別。
たとえば、
- 結婚しなくても幸せな人はいる
- 子どもを持たない選択もある
- バリバリ働かなくても穏やかに暮らせる
- 大勢と群れなくても心が安定してる
そんな人たちもちゃんと存在してて、「正解」なんて人の数だけある。
「当たり前」「みんなそうしてる」に無意識で乗っかってたら、 そりゃ現実とズレたとき、耐えられなくなるよね。
だからこそ、 自分にとっての“正解”を見直すってめちゃくちゃ大事。
正解ルートから降りる=負けじゃない。
降りる=自分の人生を取り戻すって選択だったりする。
「こうしなきゃ」って思い込んでた幸せから降りたら、 ふと湧いてくる「心地よさ」や「ほっとする感覚」
そういうのこそが“本当の幸せ”なんじゃない?
正解ルートから外れたときに感じた
“あ、ちょっとホッとしたかも”って感覚── 実はそこに、自分らしさのヒントがあるのかもね。
幸せ=「何かを得ること」じゃない
「これを手に入れたら幸せ」って思いがちだし、そういう風に謳ってるものばっかり。でも違う。
家を買っても、パートナーがいても、子どもがいても、お金をたくさん持ってても、
「全然幸せじゃない…」って言ってる人、実際いっぱいいる。
逆に、何も特別なことなくても 「今けっこう幸せかも」って思えてる人もいる。
幸せは感情のひとつであって、「状態」じゃないんだよね。
- “今ここ”をちゃんと味わえてるか?
- ありがたいことに気づけてるか?
- 自分の心がちゃんと息してるか?
そういう感覚の方が、高収入とかマイホームとかよりはるかに本質的な“幸せ力”だったりする。
だから、「幸せにならなきゃ」って頑張るより、“今すでにある幸せ”に気づける感度を上げるほうが大事。
幸せは「持ってるモノ」じゃなくて、自分の心が感じるもの。 外側じゃなくて、内側に答えがある。
まとめ:その“幸せ”、誰が決めた?
- 「こうじゃなきゃダメ」って幻想が、現実への耐性を削ってる
- “普通の幸せ”って、よく見ると他人の価値観の寄せ集め
- 幸せ=感じる力がなければ、何を手に入れても満たされない
もう、「外側の正解」探すのやめよう。 自分にとって心地いいものを、自分で選んでいいんだよ。
幸せは、探すものじゃなくて「感じるもの」。
今は見えてないだけで、もうちゃんとそこにあるかもしれないよ?
ほんとの幸せって、もっと地味で、静かで、気づきにくいとこにあるんだよね。 でも幸せの認識が間違ってる人が多い。…というかいない。正直見たことがない。
幸せの認識が間違ってると、一生幸せになることはない。
「ないものを求め続ける」より、
「今あるものをちゃんと感じる」
楽しいとか嬉しいとかおいしいとかぼぉーっとするとか、なんでもいいけど、
あぁ〜幸せ〜って感じればそれが幸せなんだよ。 また幸せについては掘ります〜。