- 「私、何がしたいんだろう?」
- 「本音がよくわからない…」
- 「人に合わせてばっかりで、自分がない気がする」
- 「しっかりしてるって言われるけど、ずっとモヤモヤしてる」
そんなふうに感じることってない?
子どもの頃から「空気を読め」とか「いい子にしなさい」とか、そういう環境の中で育つと、自然と“自分より他人”を優先する癖がつく。
それが積み重なると、自分の気持ちよりも「どう見られるか」が基準になる。
なんとなく生きづらくて、人に合わせてばかりで、ふとしたときに空っぽな自分に気づく。
「私って、誰なんだろう?」
それは、“自分”が見えなくなっているサインかもしれない。
そしてその正体は、
「自我とういう土台」がぐらついていることにある。
今回は、
「なぜ“自分がわからない”感覚が生まれるのか?」を見ながら、“自己認識”という自分を取り戻す第一歩を一緒に掘っていくよ!
いつも通り、私自身がそうでした!
初代【自分がわからない王】が垂れ流します〜
- 「自分が誰かわからない」状態とは?
- なぜ自我がぐらつくの?
- “自己認識”って何?
- “自分にOKを出す”ってどういうこと?
- 「自分がわからない」の代償
- 他人軸から、自分軸へ
- まとめ:自分の中に、戻ってこよう
「自分が誰かわからない」状態とは?
「私って何者なんだろう?」
ふとした瞬間、そんな疑問が頭に浮かんで答えが出せなくなっちゃうことってない?
ちゃんと働いて、ちゃんと人と接して、それなりに生きてるはずなのに──
どこか“自分がいない”感覚がある。心にぽっかり穴が開いてるような、謎の空虚感。
- いつも「他人の目」が気になる
- 頑張っても達成しても、満たされない
- 自分の気持ちより、正解や評価を優先してしまう
こういう状態が続くと、自分の感情や欲求を“後回し”にして生きることが当たり前になっていく。
「ちゃんとしてるつもりなのに、なんか苦しい」
その理由は、“他人の目”を通してしか、自分を見られなくなってるから。
わかる人にはわかる…
ゲーム『SIREN』の視界ジャックみたいなね。それがデフォになっちまう。
なぜ自我がぐらつくの?
「私って誰?」
この問いに答えられなくなるのは、ある日突然じゃない。
気づいたときには、もう“自分”が何を感じて、何を望んでいるのか、うまく言葉にできなくなってたりする。
それって、自我の土台が育ちきらなかった結果かもしれない。
- 親や先生の顔色をうかがって過ごす
- 「空気読んで」「周りに合わせて」が当たり前
- 「人と違う=間違い」という空気感
こうやって“条件付きの愛”に応えながら育つと、「自分のままでいても大丈夫」という感覚を持てない状態で大人になってしまう。
そして、自分を出すより期待に応えることが“正解”になっていく。
結果、「私は誰?」に答えられないまま、社会の中に放り出されることになる。
もっと言うと、他人の期待に応えることが当たり前過ぎて、自分がそこにないことにすら気づかない。まじでなんの疑問にも思わない。
“自己認識”って何?
自分を見失っていた状態から、少しずつ“自分”を取り戻していく。
その第一歩が、「自己認識」。
難しいことじゃなくて、「自分の反応にちゃんと気づいてあげること」から始まる。
- ちょっとイヤだなって思ったこと
- なんかホッとした瞬間
- 意味はわからないけど引っかかること
そういう日常の中の「小さな違和感」や「感情の揺れ」に気づいてあげることが、自我の土台を育て直すためのスタートになる。
基本、見て見ぬふりで抑え込んでたりする。しかも無意識でね。だから、ちょっとわざとらしいくらいでもいい。
“私はどう感じた?” “本当はどうしたかった?” この問いかけが、自己認識の扉を開けてくれるよ。
『あれれ〜?おかしいぞ〜?私さん今ほんとにそう思ったのかなー?』とか?
…ゴメンナサイ唐突に降りてきた。某メガネの少年探偵とは言わないですふざけてはないんですよ、えぇ。
“自分にOKを出す”ってどういうこと?
自分の感情や感覚に気づけるようになってきたら、次はそれを否定せずに受け止めること。
ただ、ほとんど人は、
- 「これができたからOK」
- 「ちゃんとできたからOK」
って、“Do【行動】ベース”で自分を評価してしまいがち。
でも本当に大事なのは、“Be【存在】”に目を向けること。
- できなくてもいい
- 失敗してもいい
- 怖くても、迷っててもいい
そうやって、「それでもOKだよ」って今の自分に言ってあげること。
これは、無理矢理いい部分だけを肯定する“インチキ自己肯定”じゃなくて逆、もっと深い“自己受容”。
自分の土台を安定させるには、この「そのままの自分にOKを出す力」が欠かせない。
何度も言ってるし、何度でも言うけど、
自己受容(=ありのままの自分を受け入れる)、まじで大事。全部に必要だし全部に繋がってる。
「自分がわからない」の代償
“自分が何者かわからない”っていう感覚を放置してると、じわじわと日常に不調や違和感が積もってくる。
- 他人と比べて焦る、落ち込む
- 人間関係でやたらと疲れる
- 自分の選択に自信が持てない
- 無気力になる、誰かに依存してしまう
一見バラバラに見える悩みだけど、実は根っこではひとつにつながってる。
「自分の感覚や価値観が曖昧なまま」だから、何に振り回されてるのかも分からない。
自分の中に基準がないと、外からの刺激にいちいち揺さぶられる。
誰かの期待、社会の正解、目の前のノイズ──
すべてが“自分を見失わせる材料”になってしまう。
ほんと無意識に無理しまくって、ただただ疲れていくだけなので、このままの状態でいるのはおすすめしない。
他人軸から、自分軸へ
「私は誰?」って問いの答えは、他人の中にはない。
周りの期待に応えても、誰かの“正解”をなぞっても、そこに「本当の私」がいるとは限らない。
じゃあどこにいるのかっていうと── 自分の内側の“反応”や“しっくりくる感覚”の中にある。
だからまずは、こんなふうに問いかけてみて。
- 本当は、どうしたかった?
- それ、誰の価値観?
- 自分が心地いいのは、どんなとき?
この問いかけが、“他人軸”から“自分軸”へと戻っていくための入り口になる。
おそらく、ここを見てる時点ですでに今までの自分とは違ってると思うけどね。気づくって自分が思ってる以上に大きな一歩。
まとめ:自分の中に、戻ってこよう
「自分がわからない」って感覚は、気づかないうちに“他人に合わせることが当たり前”になってた証かもしれない。
自分を後回しにして、評価や期待を優先してきた結果、
「私って誰?」が空白のまま残っちゃった。って感じ。
でも、その違和感に気づけた今は、ちゃんと“自分に戻る”スタート地点に立ててる。
- “私はこう感じる”
- “私はこう思う”
そういう自分の感覚を、少しずつ取り戻していけばいい。
焦らなくてもOK。
ちっちゃな「自分の声」を拾うだけでも、それが土台になっていく。
自分わからない王なんて目指さなくていいんですよ〜っと。
次回予告:
「アイデンティティってなんなん?」
── 他人との違いを知ることで、“私は私”が際立つ話
- 自分らしさって、どうやって見つける?
- 「私」ってどこまでが私? 他人とどこが違う?
次は、ぶれない“自分の軸”を立てるヒントを掘っていくよ!
…(例のごとく) たぶん!!